09)「ツア-」は目的地も予定も決まっていて、リ-ダ-が団体を連れて行く。
一人ないし二人が予定を決めて、予定通りに帰ってくるのは「トラベル」。
その紀行文を書く人はトラベルライタ-。
「トリップ」はわざわざ行かなくとも良い。つまり、頭の中で想像する
のがトリップ。
「ジャ-ニ-」というのは、逍遥とか放浪みたいなもの。
あい若いころの入院生活も、ぼくにとっては旅の原点のようなもの。
10)小澤昭一さんが言ってるんですが、西行法師と松尾芭蕉と永六輔が、
「日本三大旅人」なんだそうです(笑)。
11)実は、ぼくが旅というものについて本当に影響を受けたのは、宮本常一
さんという民族学の先生です。大学生の時、佐渡ケ島を旅していて、
たまたま調査に来ていた先生に出会ったんです。
12)旅をするということは人に会いに行くこと。(同感です)
旅は、博物館よりも、風景よりも、何よりも人ですよ。
13)旅は手ぶらが基本。荷物が多いと、そちらに気を取られて、頭が働か
ないから。
14)毎週土曜日にラジオ番組があるから、前日の金曜日には東京に帰ります。
それ以外は殆ど旅をしています。まぁ、小沢昭一さんが言うように、
いつか旅先の食中毒で死ぬかっていうくらい(笑)。
15)長野県は3年続けて日本で長寿一位。単純な理由から。3人の先生が、
諏訪と佐久と安曇野で、在宅医療に切り換えたから。
16)自分の健康に細心の注意を払っていて、いつも元気な人と、だらしなく
生活をして身体を壊した人がいた場合に、元気な人のお金で、だらしない
人をお世話するということになりますね。そう考えたら、元気で医療
保険を払い続けている人は、「健康維持のためにつかった金を返せ」
と言いたくなるじゃないですか。(そうだ、そうだ)
17)家族や患者本人が看護婦さんを選んだり、看護婦主導で医師を選んだり
するシステムは、とても大切なのです。(開業ナ-ス)
18)今の医療スタッフの多くは、言葉の使い方が不勉強ですよ。告知という
より、宣告です。
19)開業ナ-スに頼めたことは幸運だった。ある程度の資金的な余裕は
あった。これは、幸せに看取ったり、看取られるための対価だった
のではないか。
20)とても嫌な言葉ですが、「スパゲッティ」という状態にはしてほしく
ない。これは医療現場で使われている言葉なんですが、延命措置の為に、
管やコ-ドだらけになるでしょう。とても穏やかな死とはいえない
ですよ。
21)人が亡くなると、お寺の鐘が鳴る。すると、そこに居合わせた人たちが、
みんなで西方浄土へ送る。『平家物語』で知られる祇園精舎というのも、
そういう建物です。鐘が鳴ると、「ああ、また亡くなったんだ」と、
みんなの心に響く。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という
有名な言葉は、そんな情景から生れたものなんです。
22)今でも旅先から、亡くなった女房宛に、ハガキを書いてます。
23)女房は生前、「お墓に入ると出にくいから」って言ってたんですよ(笑)。
いつも季節を感じていたいから、花や雪の見える所に骨壺を置いて、と
言われたんです。いずれ、ぼくも骨壺に入ったら、二人が好きだった本
をはさんでブックエンドにする。うちの夫婦の最後はブックエンド(笑)。
24)妻に先立たれた夫の余命は平均5年。それにひきかえ、夫に先立たれた妻
の余命は22年(笑)。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
芽映さんから案内が届いたのでお知らせします。
「観覧車の旅5」です。
「お時間がありましたら」と添え書きされていました。
3月13日(月)~19日(日) AM11:00~PM7:00
3月18日(土)PM5:00よりライブ・パ-ティがある。
関内駅から徒歩5分の吉田町画廊でです。
残念ながら、18日は仕事です。
外国でしょうか。赤土のまっすぐな道を、いつもながら
後ろ向きで、半袖の白いワンピ-ス。長いリボンを翻した
ハットを被り、白黒のネコを連れて歩いている姿です。
道の右手は針葉樹の並木。左は背の低い木。電線が走ってます。
『海の見える観覧車』(河出書房新社)を取り出してみたら、
氷川丸を眺める後ろ姿の彼女とネコでした。
私と彼女の名と2002.3.16のサイン。その間にイラストも。
オビには、「中華街て異国の風に吹かれ 馬車道でいにしえを
想う。横浜をわたしの故郷にしたい」と。
あれからもう4年が経つのか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
図書館の書架を見ていて、タイトルが気に入り借りたら、
大田南畝と滝沢馬琴が主人公の話でした。晩年を5話にしています。
直木賞受賞作家の星川清司さんの本です。文芸春秋から。
タイトルは南畝の辞世から取っています。
「入相」を大辞泉で見たら、日が山の端に入るころ。日の暮れるころ。
たそがれ時。夕暮れ。「入相の鐘」は晩鐘と。
私の好きな「朧月夜」の世界です。
菜の花畑に入り日薄れ 見渡す山の端霞深し
春風そよ吹く空を見れば 夕月かかりて匂い淡し
1)近ごろ掲げたとみえる屋根看板には、「御紙烟草入品々山東京伝見世」
とあって、売行はかなり盛んであるらしい。紙烟草入から値の張る
布烟草入、さらに「京伝張」と称して、刻印を打った烟管(きせる)を
も加え、他に薬なども売捌いている。
2)去年冬に千住駅酒家中屋六左衛門隠宅で行われた斗酒飲みくらべ会で、
松堪という男が酒9升1合のんだと伝えられているという。
(この話は以前、本で読んでます)
3)そのくせ京伝は下戸で酒が飲めなくて、酒を飲まずに上機嫌で酔った
ふりするのが上手かった。絵師北尾政演が、京伝であることも、
そのころ知ったのだ。
(先日見た、三井記念美術館での『熈代勝覧』も京伝作と推定されて
いました)
4)山東とは愛宕山の東に住居するゆえ山の東であって、京橋の近くで
あるゆえ京、そして通り名の伝蔵の伝、すなわち山東京伝。
(私が生れたのは愛宕山の西でした。近くに住んでいたんだ)
5)南畝の死に方は理想的でした。
4月6日に、お香を連れて葺屋町市村座の芝居を見物にいった。
戯場を出て芝居茶屋でひとやすみしていると、團十郎より先に尾上
菊五郎が御きげん伺いにきた。
夜になって淡路坂の家に帰ると、南畝は常のごとくお香と語らって
から寝に就いたが、あくる朝になると、「気分がわるい」と言った
ものの、比目魚(ひらめ)で茶漬めしを食べた。
そうした即事をくちずさんで片紙に書いていわく。
酔生将夢死
七十五居諸
有酒市 ○近
盤○比目魚
その夜は熟睡したけれど、ふたたび起床することがなかった。
南畝七十五年が終わった。
6)さながら死を予感したように、南畝の絶筆として伝えられたものが
大田家に残されていた。
ほとゝぎす鳴つるかた身はつ鰹 春と秋との入相のかね
7)南畝の息子定吉は、お役が勤まらず、南畝の書き物の綴じをしていた。
気をも病んでいたとか。兎角、エライ親を持つと…。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
楽しい4日間もすでに半分が過ぎてしまいましたが…。
1)23日(木)、湘現鍋の会@永久福寺跡奥の新しい場所で。
カモ鍋でした。
2)24日(金)、松田桜まつりと酒蔵見学(ビデオ)・試飲。
収穫は国府津から豊橋あるいは身延線経由で甲府まで、
週末、祝日、年末・年始、乗り放題で\2,600のトクトク
切符をみつけたことです。
但し、国府津~熱海間の東海道線は入らずでした。
3)25日、LSK「新春の集い」@鎌倉プリンスホテル
事務局長は今期で下りることにしました。
4)26日、「日光街道」歩き。浅草→千住。何でも冒険隊主催です。
27日は昼勤です。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
酒が入ると、気が大きくなります。
メル友から聞いていたピアノバ-のことを思い出してしまいました。
で、大船を乗り過ごして辻堂へ。
花屋さんで聞いてビル2階の店が分かりました。A'd です。
皆からおばちゃんと呼ばれているという80過ぎたおばあちゃんが
経営するSNACK-BAR です。 カウンタ-で、この店を教えてくれた人
の話から会話が始まりました。
しばらくして、勤め帰りの人たちでしょうか、4人が楽器を携えて現れ、
一人がピアノに坐って演奏が始まりました。知らない曲ばかりでした。
8時くらいまでいたでしょうか。
近間でも'06冬紀行と言うに値する一日でした。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
今日はこれまでと渋谷で下車しました。都区内乗り降り自由の
切符ですから。良かったのか悪かったのか。16:50′
京王井の頭線の高架の下にある飲み屋の多い所へ。
安そうな「山家」に入りました。
テ-ブルで飲んでいたら、混んできて二人の客が相席で
座りました。一人は外人です。彫りの深い顔をしてます。
日本語が話せるようでした。聞けば、ペル-から12年前に
来たと。ペル-といえばチチカカ湖しか知らないので、これを
話して会話の糸口としました。あれこれ話が弾み、2合徳利を
3、4本も飲んでしまいました。
メモはここまで。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
今日、最後の都電は、終点一つ手前の面影橋まででした。
車内で分厚い刑事訴訟法を読む青年。早大近しです。
7回乗ったので元をとりました(笑)。\160×7=1,120>\400 。
何かいわくがありそうな駅名ですが、検索してもよく分かりません。
今まで何ヶ所か、都電専用軌道がありましたが、この駅周辺は
国(都)道上を走っています。この道路の近くを神田川が流れ、
架かっている橋が面影橋で、渡った向こうにあるオリジン電機
正門脇に「山吹の里」の碑が建っていました。
鷹狩りにでかけた太田道灌が、俄雨にあって、蓑を借りようとして
差し出された山吹の意味が分からず、恥じ入って和歌の勉強に励む
きっかけになったとか。
七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき
鄙には稀な教養ある娘さんでした。
近くにあるという甘泉園に行こうと思いましたが、すぐには見つ
からずあきらめ。芭蕉が深川の芭蕉庵の前に住んだという芭蕉庵が
近くにありますが、以前、行ってるのでパス。その先には、永青文庫
や椿山荘があると。
15:35′早稲田駅ゴ-ルでした。
学生街です。雀荘が多いです。私の次男もここで鍛えたか。
大隈講堂の前を通る。早稲田には正門はないですが、入口で職員が
出入りをチェックしています。入試をやっていたのでしょうか。
少し腹が空いてきたので、角の蕎麦屋に入ろうかと思いましたが、
中休み。道路を隔ててあった「てんや」に入りました。
この日、老若二人の女性が新入りとみえて、店長からあれこれ教えて
もらっていました。ビ-ル2本と天ぷら盛り合わせ。
バスで高田馬場に出ました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
朝日に毎週連載している「ストリ-ト スト-リ-」は本郷通りでした。
「喫茶店や古書店が軒を連ねて、アカデミックな雰囲気が漂う本郷。
大部分は戦災にもあわなかったので、戦前からの商店も多い」と。
カラ-イラストには、歩きたい路、入りたい店がいろいろ出てます。
01)51年前創業の賄い付き下宿「暁秀館」
02)2個147円の甘食の「明月堂」
03)散歩の友に「菊坂コロッケ」の「まるや肉店」
04)法真寺
05)赤門。ご存じ加賀前田家の大名屋敷の名残。1827年築の重文。
06)東大コミュニティセンタ-。研究成果を生かした商品を販売。
07)学生が案内する「キャンパス・ツア-(2時間、無料)」
08)昔ながらの飲食店とおしゃれな和カフェが共存する落第横丁。
09)椅子の背にカップの切り抜きがある「喫茶ルオ-」。
10)「万定フル-ツパ-ラ-」には、1934年からの米国製レジスタ-
が健在。
11)明治期に建てられた商家建築の棚澤書店。
12)趣深い旅館、「鳳明館 森川別館」
今、「本郷 菊坂 文学散歩」で検索したら、本郷通りと交差する春日通り
にも見所がありそうです。現地で地図をもらいましょう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
フェアに行った翌々日、「木暮郁雄様邸ユレナビご報告書」が届いて
いました。A3×5枚でした。我が建築地は、
1)今後30年以内に震度6弱の地震が起こると想定される。
我が家を中心とした1km四方の地図に絞ると、うちのすぐ西側は震度
6強でした。要するに、震度6弱~6強の地震が起きる中にあるのでした。
そして、
2)「地形区分は丘陵地」と推定される、で、予想される地盤は「ロ-ム、
固い粘土、レキ地盤」で、良否は○でした。
しかし、西側は「扇状地」表示で、「ロ-ム、砂礫などからなる良質
な地盤」(○)とあり、我が家の地形から丘陵地ではなく、扇状地だと
思いました。この区画の大半を占める造成地が東にあることからの
判定でした。
いずれにしろ、比較的良好な地盤の上にあるようでした。結果によっては、
地盤強化対策をしないといけないかと思っていたので、一安心でした。
要するに震度6の地震が来ても、家が傾くことはあっても、倒壊・座屈
はなそさうです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
10日(金)、横浜産貿センタ-ビルで開かれた「感謝祭」に行ってきま
した。お目当ては、この1W位前に新聞広告に出ていた「邸別耐震診断
システム ユレナビ」について聞くことでした。
大地震に耐え抜くには、建物の耐震性だけでなく、そこの地盤の強さ
も必要です。我が家の耐震性は同種建物の実績から信頼していますが、
地盤については不安なきにしも非ずでした。というのは、先月の町内
パトロ-ルの時、代々住んでいる人からここら辺は少し掘ると水が出る、
沼地だったらしい、その証拠に沼上さん家は少し高い所にあると、
聞いたからです。確かに、庭に井戸のある家を2軒知ってます。泉も
あります。
セキスイの「ユレナビ」はこれから建てようとする見込み客へのサ-
ビスだったのですが、既存客に有料でもいいから診断してもらいたい
と思いました。
聞けば、文科省防災科技研が公開しているデ-タに基づいてのシミュ
レ-ションとのことで、うちについても診断してくれるとのことでした。
後日、診断書を送ると。
その他、太陽光発電やエキステリアのブ-スであれこれ話し、何点かの
プレゼントをゲットしました。
・バスクロス
・保冷剤付きタッパ-ウエア
・透明マグネットプレ-ト
・大きな袋に入ったフラワ-ポット(28cmΦ×25H、Downunderpot)
これは素焼きの花瓶で、中に土と種を入れ、芽が大きくなったら逆さ
にして吊るす。すると草花は茎を倒立させて花瓶に添って大きくなる
と。輸入品でした。
この後、吉田町にある中学時代の級友の骨董屋の仮事務所(今までのビル
は解体する)を訪ねましたが、未だオ-プンしていませんでした。
で、近くのKirin-City で旬磯つぶ貝でハ-フ & ハ-フを。
そして、開店時間となったので、前にも行った養老乃瀧へ。
利き酒セットは、青森のじょっぱり、石川の加賀、新潟の菊水でした。
大きな荷物を持っているので、自転車は預けたままで帰宅しました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
昨日、読んだ『本』に、「六次の隔たり」という言葉が出ていました。
増田直紀さんの、「イッツ・ア・スモ-ルワ-ルド」にです。
「全く知らないある人まで何人の友人の鎖をたどって到達できると
思われるだろうか。街頭でインタビュ-すると、100人とか1,000と
いった答が返ってくる。しかし、実は、6人程度で済むというのだ。
テレビに出ている有名人とも、地球の裏側に住む船乗りとも、平均的
には6人くらいを介するだけでつながっているということになる」
「世界は狭いね」「悪事千里を走る」などとして、私たちが経験的に
知っていることである」
「世界はまさにスモ-ルワ-ルドなのである」とも。
これは増田さんらが著した『「複雑ネットワ-ク」とは何か』に
関連して載せたものです。(講談社ブル-バックス¥954)
この本の帯には、「複雑な関係を読み解く新しいアプロ-チ」とも。
以前、マ-ク・ブキャナンの『複雑な世界 単純な法則』(草思社\2,310)
という本を知り、図書館に買ってもらいと思っていました。未だに
頼んでいませんが。
「六次の隔たり」で検索したら、100点以上も出ていました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
ミニシンクロニシティです。
講談社の広報誌「本」3月号に、最新刊として『スペイン巡礼史』が
出ていました。
「地の果て=フィニス・テラ-エの聖地に、人はなぜ引き寄せられた
のか? 国王から庶民まで、巡礼に現世利益と魂の救済を求めた中近世
ヨ-ロッパ人の「信仰の社会史」」と。
フィニス・テラ-エとは、先日読んで紹介した、黛まどかがサンチャゴ
巡礼を終わった後、そこから「さらに90キロほど西へ行った所に
フィニス・テ-リャという港町があり、巡礼中に使ったものを海へ
捨てる(焼き捨てる)のが千年の習わしになっていると聞き、エドウィン
と共にバスで向った。」という所でした。
サンチャゴ巡礼は行っても数年先ですが、読んでみたいと思います。
因みに、後白河法皇なども熊野詣でを何十回となく行ってます。
今でも、四国遍路旅を何回もやっている人がいるとか。
私は信仰心は薄いし、同じとこへ何回も行きたいとは思いませんが、
早く行ける状況になって欲しいと思います。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
20日、朝日論説委員の越村佳代子さんが「砧打つ石」と題して、
「窓」に書いています。
「昨年10月末に開館したばかりの韓国の国立中央博物館で、分厚い
大きなまな板のような「砧打ちの石」がいくつも置かれているのを
見た」と。
「砧」は洗濯した布を木槌で打って、しわを伸ばすこと」だそうで、
「叩き洗いと誤解されることが多い」と大阪府教育委員会の辻本さん。
「昼に洗濯し、夜、乾いた布を木や石の台に載せて、仕上げるのは
女性の夜なべ仕事だった」とも。
『大辞泉』を引いたら、「衣板の音変化」と出ていました。
万葉集に、夜、砧を打つ音を聞いたといった歌が載っていたのを思い
出し、幾つかのキ-ワ-ドで検索しましたが、私の記憶にかすかに
残る歌はヒットしませんでした。
東京の多摩川に面して調布市があり、ここら辺で読まれたと記憶して
います。ここのHPも見ましたが出ていません。田園調布でも。
「調」とは、昔の税金の租庸調で、租は米などの穀類、庸は使役で、
防人など、調はその土地の名産品で、主に布地などだったようです。
因みに、ソウルの博物館はアジア最大規模で、両翼が404mもあり、
敷地面積307,000m2は、東京ド-ムの6.6倍とか。
少し前に、九州国立博物館がオ-プンしたと報道していて、TVで少し
見ました。展示方法などもかなりユニ-クとか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
おばあちゃんの原宿といわれている「とげ抜き地蔵」へ行こうと思います。
「庚申塚」で下車。駅近くに「猿田彦大神庚申堂」がありました。
ここから駅名がついたようです。その先が地蔵通り商店街です。
少し行ったら焼芋の匂いがしてきました。人通りも増えて、活気のある
商店が多くなりました。
14:25′ 高岩寺です。とげ抜き地蔵です。やはり、年寄りが多いです。
今度はメガネを落としたようです。ヤレヤレ。
山ノ手線の大塚駅前、東池袋4丁目などを通って、「鬼子母神前」で下車。
その前に「雑司ヶ谷」があり、有名人の墓などがあるそうですがパス。
所謂、「恐れ入谷の鬼子母神」とは違います。これは上野の近くにあります。
数は少ないですが、雑司ヶ谷の鬼子母神大門ケヤキ並木がありました。
一番大きいのは、大人が3人でやっと抱えられる太さです。都で5指に入る
樹齢とか。今、葉が落ちていて、その凄さは余り感じられませんでしたが、
http://www.geocities.jp/tokyowood/keyaki/keyaki02.html
に、鬱蒼と繁った写真が出ていました。
並木が尽き、石畳の路を左折したら、正面に鬼子母神がありました。
手前左にみみづく公園がありました。ここにはススキの穂で作られた
郷土玩具「すすきみみづく」が売られていますが、境内の売店は
閉まっていました。以前、ここらにみみづくが棲んでいたのでしょう。
参詣客もいません。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
つづきです。
13:39′ 王子駅に戻り、また、乗りました。坂を上りながら左手に
大きく曲がります。
左手が飛鳥山公園。将軍吉宗が、江戸っ子たちの行楽の地とするため、
ここを桜の名所にしたという所。ここの一角に製紙博物館があります。
以前、見学しました。
飛鳥山の次が滝野川1丁目。ここで下車しました。ゲ-テの小径と
その記念館があるとか。
小径をたどったら、記念館がありましたが、休館中でした。今日は
ついていません。
検索してもひっかかりません。何でゲ-テなのか分かりません。
ゲ-テはいろいろな呼び名があったようで、「ゲョ-テとは俺の
ことかとゲ-テ言い」なんて川柳もあります。
ここら辺り、西ヶ原2丁目と出ていました。西ヶ原は、渋川に疎開中、
クラスにヒョロヒョロとした、いかにも都会のお坊っちゃん然の
中島勤君というのがいて、私より1年ほど前にここへ引っ越して
行ったのです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
つづきです。
江戸時代、王子といえば狐と滝でした。
歩いて先ずは、王子稲荷大明神へ。
途中、小さな化粧品屋さんに「馬油」を売っていました。
馬油といえば思い出があります。私が渋川にいた時、夕方、コタツに
入って仰向けになっていました。そこへ、ヤカンを持ってきた兄が
けつまずいて、熱湯が私の顔面に!
金がなかったからでしょうか、母は馬油を顔に塗りたくりました。
お湯が熱くなかったのかもしれません。お蔭で傷跡もなく完治しました。
今、「やけど 馬油」で検索したら、効く、効かないと両方ありました。
いずれにしろヤケドをしたら水で冷やすのが一番です。ただ、水膨れ
したら水圧に気をつけヨと。その馬油が80mlで1,800円でした。
1:08′ 王子稲荷。正面から入れず、横から入りました。境内に大きな
イチョウが2本立っていました。
天井絵があるというので、昇殿しました。お賽銭だけで上がれました。
今、検索したら「現在の社殿は1822年製で、谷文晁の竜の天井絵がある。
江戸時代、関東の稲荷信仰では常陸の笠間と並ぶものであった」と
出ていました。
その先にある「名主の滝公園」に行くと、「今日、滝水を落として
いない」と看板が出ています。道は霜柱がたち、池には氷が張って
います。なるほど、滝から水は落ちていなくて、水路をホ-スの水で
流して、水垢を取っていました。
空がどんより曇り、指先が冷たくなってきました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
一昨日の湘現会は、海難審判庁の仕事のお話でした。余り関心はあり
ません。で、配られた会報を見ると、前回のお話の健康法が書いて
あったので、それを読んでいました。それに面白いことが書いて
ありました。
「私の健康法-3つを使って2つを出す-」で、国際政治学者の
畑田重夫さんです。
1)奥さんは施設入りで、一人で自炊している。
2)小さい頃、病弱だったので、健康には人一倍気をつかった。
3)この日もマイクの使用は断り、地声で話す。大声で話すと、下腹に
力が入るので、脂肪が溜まらない。
4)マメ類、ゴマ、ワカメ、ヤサイ、シイタケ、イモ類の最初の文字
をとったものが、「マゴワヤサシイ」であり、これらを中心にして
買物をする。
5)特に効果的であったのがニンニク。1かけらのニンニクを日に3回に
分けて、食後にすりおろし、2枚のオブラ-トに包んで、2杯の水と
共に飲み込む。そのため、ニンニクとおろし金とオブラ-トは常時
携帯している。
6)便秘が解消し、消化が良くなるし、顔色も。
7)3つとは頭、手の指先と足で、2つとは声と汗です。
8)野菜は自宅近くの無人売店で買っている。新鮮な野菜で、地産・
地消です。
9)宮大工の西岡常一さんの「木に学べ」を読むと、非常に参考になる。
9)参考までに、家の耐用年数は米では103年もつと言われ、英で141年、
仏は86年、独は78年。日本は平均30年です。
10)チャップリンの言葉に、「生きていく上で必要なもの、それは夢と
勇気とほんの一寸のお金である」がある。
非常に意志が固い方で、若いときから酒は一滴も飲まず、タバコも。
外国でのレセプションでも飲まないと。
ニンニクの匂いについては触れていませんが、匂うのでは、で2次回の
皆さん、一致しました。どうでしょうか。
会の中休みの時、体調を崩して会長を辞められたNさんに伺うと、一過性
のものだったとか。この方は気功の指導をなさっていて、健康そのもの
だと思っていたので、健康に自信がある私も先行き大丈夫かと気になった
のです。加齢により肉体が衰えるのは、やむを得ない。ムリをしない
ことですと。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
先の二つの会社に行く時は、王子駅から数分も歩かない所にあった店で
よくお昼を採りました。おじいさんが作り、おばあさんが持ってきて
くれる天丼です。
駅前は再々開発の最中で、もうあの店もないかと思いつつ行くと、
「柳小路」の看板が見え、小さな飲食店街がありました。
確か、右側にあったと思いましたが、そこには食堂はありません。
で、左に入ったら「寿恵廣」があり、マア、ここにするかと入りました。
給仕の女性に聞いたら、この店は戦後からずっと、うなぎや天ぷらを
やっていたと言いました。でも、この店は「寿恵廣」で、漢字3文字の店
ではなかった筈です。
今の時間、定食しかないとのことで、それとビ-ルを頼みました。大瓶
だけですがいいですか、と確認されました。
定食は、まぐろ刺身、カレイの煮つけ、めかぶと山芋、キュウリの漬物、
豆腐の味噌汁、飯、ヤクルトです。これで850円。
カレイも飯も美味かったです。
入口近くに古木の根で作った夫婦駒に、馬と左右逆に書かれた馬が置いて
ありました。
勘定のとき、昔、この近くで天丼をよく食べたと話したら、当時、この店は
「末広」でした。家族でやってましたからと言われ、あのじいさん、ばあ
さんの店だったと分かりました。調理場には、多分その息子さんでしょう。
私と同年配の人がいました。奥さんは孫だと言ってたので、若い方の料理人
はその亭主なんでしょう。3人とも初めてでしたが、とても懐かしく思いました。
名刺をもらって出ました。割烹 寿恵廣と肉太に書かれています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
三ノ輪橋駅は関東の駅百選認定駅でした。
11:18′ やっと出発できました。この時間帯は5分おきに出ていると。
終点まで行っても160円ですから、3回乗れば元がとれます。
最初の駅は「宮ノ前」を考えていました。以前、共同研究をしていた
「旭電化」の研究所を訪ねて見ようと思ったからです。しかし、車窓
から旭電化跡地1.7kmと書かれた標識を見つけ、下車するのは止めました。
ここの研究所は、昔、新宿にあった文化服装学園と同じく円筒状になって
いたのです。まさか、特注の机を置いていたとは思えませんが、無駄な
スペ-スがあったでしょう。
次の「小台」でおりました。この付近に塗料メ-カ-の「カシュ-」が
ある筈と思ったからです。裏通りに入りましたがありません。ここには
よく通い、採用もされました。事務所に入ると、大きな額に藤村の
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子も悲しも…」がカシュ-で書かれて
いたのです。
次の「荒川遊園地前」には、駅前の小高い所に木が植わっています。下は
浄水場とか。
次の「荒川車庫前」でまた下車。パンプをもらうためです。在庫払底で、
白黒コピ-したものしかありません。で、カラ-が欲しかったので、紛失
届けを出しましたが、連絡はありませんでした。
次の「梶原」でまた下車。名物の「都電もなか」を売っている店があるの
です。この停留所に面し、新聞、たばこ、古本などが買える「梶原書店」
で場所を聞くと、「今日は休日だけど、行ってみたら」で、行くと、
「菓匠 明美」で、シャッタ-に貼り紙があり、この先のス-パ-に
置いてあるとありました。しかし、10輛入りで\1,418円でした。
二つ先が「王子駅前」です。ここにも訪ねてみたい店があります。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
あれこれプランを練っていた、「銀山温泉と会津若松」の冬紀行は、間際
になって確認したら、2日間、新幹線乗り放題の割引切符は、週末だけ、
しかも2月で終了すると分かり、仕事その他との調整がつかず、来シ-ズン
に持ち越すことになりました。残念です。
で、去年の夏紀行で考えていた、「都電(荒川線)の旅」に行ってきました。
6日(月)でした。
8:20分 出宅
大船からの車内では、黛まどかの『星の旅人』を読んでいて、日暮里
でスペインから日本に舞い戻りました。この日の夕方から雪の予報で、
風が冷たいです。
都電の一つの始発駅は三ノ輪橋で、最寄り駅は常磐線の南千住です。乗換
駅を西日暮里と勘違いして戻りました。
10:12′南千住駅着。
車窓から都電の線路が見えないかと見ていましたが見えません。
駅前で三ノ輪橋駅を尋ね、進むと広い道に出ました。もうこんな時刻に
蒲焼を焼いている店「丸善」がありました。大きいですが、\1,200。
日光街道(R4)に出ました。渡ると近江屋という食堂がありました。酒が
250円と出ていたので、三ノ輪橋駅の場所を聞きがてら入りました。
先客が3、4人。皆さん、やってます。おでんを頼むと7種も入っていて、
350円ですから安いです。で、もう1本となりました。温まりました。
カラフルな「都電の旅」のパンフは以前、取っておいたので、それを見て、
途中下車する駅を決めました。7つもありました。
早稲田まで停車場は30あり、12.2kmですから、一駅間は420mです。
商店街の入口の喫茶店「雨宮」に都電グッズが売っているとあったので
入りました。都電の模型や、写真などあり、車輛番号6001と描かれた車輛
のミニタオルを買いました。東京都交通局許諾済のステッカ-が貼られて
います。
商店街に入ると、ホワイトライスが\1,000/5kg、精米3分の看板も出て
いました。直前に精米するから美味いでしょう。
三ノ輪橋駅はこの近くにありました。
一旦、電車に乗って、一日乗車券を400円で買いましたが、写真を撮ろうと
して下車した時に、パンフを車内に置いてきてしまった様でした。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
同じ日の朝日の@デ~タから。
1)春を告げるウメが先でサクラが後、というのは、北日本では
当たらない。
2)「ウメ前線」と「サクラ前線」が日本を北上する速さを開花日の
平均で計算すると、ウメは時速0.3キロ。サクラは時速1キロ。
3)で、九州で2カ月早く咲いたウメにサクラは北日本で追いつく。
4)どちらも冬の寒さと春の温かさが開花の条件だが、ウメは春の
暖かさに刺戟され易く、サクラは冬の寒さがより多く必要なのだ
そうだ。(というと、今年のサクラは早いか)
5)春眠暁を覚えず。眠りは深いが、いったん起きれば動きは早い。
日本地図に記された2つの前線から、かなり湾曲していますが、
5月10日ごろ、北海道の中央辺りで共に咲きだすようです。
咲きだすのは、ウメが1月31日、サクラが3月25日でした。
福島県の中央に位置する三春町は、いっぺんに3種の花が咲くところ
から命名されたと聞いています。今、その木を調べようと検索したら、
町のHPはヒットしましたが、それについては書いてないようでした。
ウメとモモとサクラだったかしら。でも、両方の前線の位置からは、
ウメとサクラは同時には咲かない?
三春の「滝ザクラ」は余りにも有名ですが、「日本三大桜(※)の
一つといわれており、岐阜県の淡墨桜とともに東西の横綱に位置づけ
られています。
※日本三大桜
三春滝ザクラ
岐阜県本巣市(根尾谷)の淡墨桜
山梨県北杜市(実相寺)の神代桜」と。
三春さくらまつりは4月中旬から下旬に開かれるそうです。
いずれ「滝ザクラ」を見る機会はあると思いますが、小田原入生田に
ある「長興山紹太寺のしだれ桜」の方が先になるかしら。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2日の朝日のコラム「杉のジレンマ」から。
1)戦後、植林の杉は主役だった。
2)結果、日本の人工林の45%が杉林になった。
3)安い外材におされて放置され、花粉に悩まされる人が続出。
4)杉を伐採しろ、広葉樹にしろの怨嗟の声が聞こえる。
5)花粉の少ない杉の改良研究もなされていると聞きます。
6)一方で、杉は温暖化を防ぐには最適の木なのだ。
成長が早いので、二酸化炭素の吸収量が多い。
7)杉林は1ha当たり年間9トンのCO2を吸収するが、
ブナやナラの天然林は約3.5トンにすぎない。
8)最近は、林野庁も杉の弁護に力が入る、とか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
11日の最後は、「Jazz in 鎌倉」@鎌倉芸術館 of 大船でした。
メダカの学校の交流会では、私がぶら下げてる看板も広まったと
みえて、いろんな方が酒を注いでくれました。
新橋から東海道線で大船へ。
1500人収容する大ホ-ルのホワイエに行くと、MLの仲間がワイン
を飲んでいました。で、会場をちょっと覗いてから、私もワインを
もらいました。休憩時間、ここで演奏もあります。
この人が以前、よく通っていたという辻堂駅近くのピアノバ-の
ことなど話したでしょうか。私も半月ほど前に行ってますので。
ホ-ルに入り、数人来ていたMLの仲間にも挨拶し、少し聞いていた
でしょうか。記憶が定かでありません。
酔いと疲れで眠くなり、会場を後にしました。
預けていた自転車はそのままにしてモノレ-ルで帰宅。
卓球の帰り、仲間と少し飲んできたと翌朝、聞いた家内はまで
帰っていません。そのまま、寝室へ。
蛇尾に終わってしまいましたが、芸術と文化三昧の一日でした。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
見終わって、山の手線に沿って歩いて、昼食を採る店を物色。
「謝謝」という店があったので入り、味噌ラ-メンとビ-ル。
線路の向こう側に渡り進むと、行列の店がありました。「すし
美登利」でした。ざっと30人が並んでいました。暇ですね~。
1時少し前に会場のビルに到着。予約していなかったようです。
懇親会に出るので会費千円を支払う。理事長夫妻他、知り合い
が数人。挨拶して席に。
理事長から昨年度の事業報告と今年の計画が報告され、諒承。
メダカの学校への要望事項などが何点か出されました。
その後の交流会では、「冬・水・田んぼ」で取れた米からの
お酒や少しくせのある発芽玄米酒、参加者からの越之寒梅なども
出され、出席者が順に自己紹介をしました。元US三井物産社長
も出席していました。私は水路のあるビオト-プを数年がかりで
造ろうと考えていると話しました。
この会から生れた「なんでも冒険隊」で、日光奥州街道歩きを
しているTさんとしばらく歓談。今月から私も歩くことにした
からです。
終わって理事長から、「5本の木」のことで質問されました。
メ-ルで返事をすると。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
美術館ネタがあるので入れます。
9日の朝日、「美・博ピックアップ」はポ-ラ美術館の「日本近代
洋画のあけぼの-黒田清輝、岸田劉生の時代-」と題する美術展の
紹介で、小山正太郎の「濁醪(ろう)寮渇黄葉村店」と題する絵が
出ていました。そして、その解説を読んで、私は杜牧の七言絶句
「江南の春」を思いだしました。
千里鶯啼緑映紅
水村山郭酒旗風 です。
正太郎の絵は「狩りをした後に、紅葉の茂る村の酒屋に立ち寄り、
どぶろくでのどを潤す武士たち(兵士の誤りではないか)。画面
中央に道路を配し、その両脇に家屋や樹木を遠近法に基づいて
描くことで、見事に奥行き感を表現した」と解説してあります。
騎乗した兵士が4人、近く遠くに描いてあります。酒旗は描かれ
ていませんし、杜牧の漢詩とはイメ-ジが違いますが、思いだ
したのは事実です。そして、詩は、
南朝四百八十寺
多少樓台煙雨中 と続きますが、
南朝しひゃくはっしんじと読む音感が何ともいえず心地よいのです。
江南地方の風景は知りませんが、鶯の鳴き声、木々の緑、風にはた
めく酒屋の幟、たくさんの寺々、その高殿が煙雨の中に霞んでいる
光景を思い浮かべることができます。絵画性と色彩感が素晴らしい
です。これは蕪村の句に通じるものです。
なお、この美術館へは行きません(笑)。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
日本橋から歩いて、有楽町駅近くの帝劇ビルに行きました。
この日は祭日ですが、国旗を掲揚している店は少なかったです。
銀行のビルを背に高島屋を描いている人たちが数人。ジョガ-が
二人、銀座通りを行きます。
出光美術館は帝劇ビルの9階にあるのです。
こちらはかなり人が入っていました。正装姿の女性も多いです。
「三十六歌仙」とは、藤原公任(966~1041)が万葉集と古今集に出て
くる歌人から36人を厳選して、歌人とその歌を描いたものとか。
絵は藤原信実、詞書は後京極良経と伝えられていると。
その初っぱなに出てきたのは歌聖柿本人麻呂で、歌は、
ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ
でした。これは確か、人麻呂が罪を得て、明石の浦から舟に乗せら
れて流刑地に赴くときの歌と、梅原猛がその著『水底の歌-柿本
人麻呂論-』に書いていたと思います。
以下、家持、赤人、業平、小野小町、紀貫之、伊勢らの歌と絵が
掲げられていました。業平は人麻呂の化身伝説があると書いてあり、
興味を引きました。
佐竹本は古いためか保存状態が良くなかったからか、色彩感が乏しい
ですが、36人が一同に会したカラフルな絵ハガキ(鈴木其一、弘化2年)
があったので、「人麿」と併せて求めました。
皇居方面が望める大きな窓があり、桜田門の手前には大勢の人が見え
ます。ここでは、いつもマラソンが開催されているのて、今日もそう
でしょう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
小学館が2月1日に上梓した本です。筆者は小澤弘さんと小林忠さん。
「『熈代勝覧』を歩く」には、「通りに出でたるものは、振売りの
行商人、立売り、貸本屋、古着売り、回り髪結、金比羅参り、勧進
の一行、巡礼、虚無僧、辻駕籠、飛脚、花見の一行、登下城の武家
の一行、雛市。
「熈(かがや)ける御代の勝れたる大江戸の景観」をとくとご覧あれ」、
と書いてあります。
見開きの中央に、最初は今川橋から本銀町 本石町へと順を追って、
絵が置かれ、上段に店舗の屋号、生業、建看板、木戸など町のサイン
を示し、下段に通りを歩く様々な生業の人々を示しています。
その後、絵を拡大して、主な部分の説明を加えています。
代表的な店舗として、「玉鮓」、4軒並んだ「木屋」、間口を狭く
し奥行き(駿河町通り)を深くして、小間割(間口割)で自治会費を
少なくした利に聡い両替商などをも営んだ「三井越後屋」も詳しく
説明してあります。
そして、日本橋のたもとにあった魚河岸の殷賑、雑踏ぶりは凄い
です。「「御免よ、御免よ」 威勢のいい魚河岸の若い衆。肩には
魚河岸の板舟で取引されたばかりの魚」、です。
最後は、日本橋、江戸城、富士山といった三点セットの天下一の
絶景で締めくくられています。見飽きません。
折に触れ、開いてみたいと思います。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
最初の部屋には陶器が置いてありましたが、お目当ての、『熈代勝覧』に
まっすぐ進みました。「日本橋繁盛絵巻」とでもいうべきものです。
なるほど、長いです。
神田今川橋から日本橋までのおよそ7丁(760m)の日本橋通りを長さ12.3m、
縦43cmの大きさに描いています。(1.6/100の縮尺です)皇居側の店を正面
から描き、こちら側の店は屋根だけです。その間に1,471人の男と子ども、
女200人。そして、犬20匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹、鷹二羽が描かれていると。
描かれたのは、どうやら文化2年(1805)で、丁度、200年前です。この翌年、
大火事があり、さらに4年後に出された葛飾北斎画・大田南畝序文の『江戸
買物独案内』には、この絵にある88店舗のうちの4分の1しか載っていない
そうで、この意味でも、貴重な絵巻です。
この絵巻を描いた絵師については、署名落款もなく、不明ですが、
二つの印から、巻頭の題字を書いたのは、江戸市井の書家で当時有名な
佐野東州だと分かり、東州との関わりから、戯作者として知られており、
絵もよくした山東京伝と推定されれています。
そもそも、この絵はドイツ人の屋根裏部屋で見つかり、ベルリン東洋美術館
に寄託されたのを、筆者の一人小澤弘さんが鑑定して、日本人作の絵巻だと
認知したものとか。そして、この絵には、「… 天」と記されているので、
「…地」、「…人」の存在も推定されましたが、今のところ、見つかって
いません。そこには、日本橋通りの手前側の店を描いてあるか、京橋方面
まで描かれているかと想像されると、解説に書いてありました。
丁度、タイミングよく小学館から、『『熈代勝覧』の日本橋』が出版された
ので、買って読みました。上の説明はこれから採っています。
絵はメガネなしでよく見られましたが、何回もガラス戸に額を当てました。
じっくり見ていたら、先程の二人と説明役が近づいてきました。中々、品の
ある和服姿の女性でした。見覚えはありませんが、皇室関係かな、と思い
ました。私が先を行く形になりましたが、特に、シッ、シッと追い立て
られることはありませんでした(笑)。
この他にも日本橋関連の浮世絵など、多数展示されていて、堪能できました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
11日はあちこち回り、忙しくしていました。
先ず、東京から歩いて日本橋の三井記念美術館に行きました。
「日本橋絵巻」を見るためです。
東京から歩いて行って日本橋を渡り、三越の先の大きなビルに美術館は
ありました。開催最終日の前日、しかも祝日ということで早めに出たら、
40分も前に着いてしまいました。しかし、客は未だ来ていなく、私が
トップで拍子抜けしました。並んでいてもしょうがないので、外に出たら、
正面のビルに「三井越後屋ステ-ション」があり、瓦の庇に大きな暖簾
がおりています。覗くと、売店のようでした。ウインドウに商品を並べて
いて、スタジオがあり、キ-ボ-ドの練習をしている人がいました。
その横は、創業寛政4年(1792)の「刃物の木屋」でした。
美術館で買った『『熈代勝覧』の日本橋』にもこの店が4軒並んで書いて
ありました。内1軒は普請中の所が描かれていましたが、中で営業中と。
奥へ進むと、「にんべん」です。その奥に三井ビル6号館がありました。
どうやら、東京駅を挟んで丸の内側は三菱で、反対側は三井系が土地を
抑えているようでした。美術館の女性に聞いても、何号館まであるのか
知らないと。開館20分前に行きましたが、やはり未だ待つ人はいません。
しばらくして、二人の男女が現れ、中へ入っていきました。特別な人かなと
思い、待っていると、20人近くが集まり、5分前に入れてくれました。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
矢崎泰久さんの質問に答える形で出来ています。飛鳥新社から。
01)もし、死ぬ前にボケたり、半身付随で人に迷惑をかけたりするにしても、
いいとこ3カ月と決めておくことです。3カ月なら家族はがんばれます。
それを過ぎると、「そろそろ死なないかな」と思い始めるのです。
3カ月なら、介護した方も自分なりにがんばったと思えるし、看取って
もらう方も、「頑張ったくれたなぁ」と思える。その程よいバランスが、
3カ月です(笑)。覚えておいてください
02)人の死っていうのは、厳粛な事実ですよ。その厳粛な事実が自分の所に
回ってきたとしても、家族や仲間は、必ず自分のことを覚えていてくれ
ます。覚えていてくれる間は、決して死んでる訳ではない。心の中で、
生き続けているんです。
03)いまは昔と違って医療が進んでいますから、本当に、にっこり笑って
死ねるんです。もう死ぬことは覚悟したうえで、「いい人生だったね」
と、お互いに言い合って見送るテクニクを、元気な間に身につけて
おいた方がいいと思います。いい印象だけ残して亡くなる技術ですね。
そのためには、遺言を絶対書いておくべきです。例えば、延命措置は
しないようにとか、死んだ後、葬式や墓はこんな風にして欲しいとか。
人生でやり残したことがれば、家族とか、信用できる友人に、その整理
を頼んでおくとか。とにかく、愉しみながら書くんです。
04)以前、NHKのテレビ番組で、在宅ホスピスの話をしたことがあります。
ところが、この番組で話したことへの反響は、ほとんどTBSで、ぼくが
受け持っているラジオ番組の方にやってきたんです。NHKの方にきた
手紙は、ほんの数通ですよ。
05)今は年間、1万通ぐらいは頑張って書いています。手紙といっても、
ぼくが書く返事は、たいていひと言ですから電報みたいだと言われる
こともあります(笑)。だけど、「あなたの手紙は読みましたよ。
どうもありがとう」という気持ちはどうしても伝えなくてはなりません
から。どうやってひと言でまとめるかが、ぼくの特技でもある訳です。
06)いつも巻紙の毛筆でお手紙を頂いている90歳のおばあちゃんがいるん
ですが、ある時、放送で、「1日だけEメ-ルを受け付けます」と言った
ら、なんとそのおばあちゃんが、メ-ルを送ってくれたんですよ。
巻紙毛筆からEメ-ルまでこなすおばあちゃんには感激しました。こう
いう人をコミュニケ-ションの達人というんだなぁ、と。
07)それで、一番最初に「母」という言葉をひいてみたんです。すると、
「両親のうちの男でない方」なんて書いてある。いくらなんでも、
それはないだろう…。それからですね、ぼくが辞書に興味を持ったのは。
ぼくは、子どものときに疎開先でいじめられていたでしょう。石を
ぶつけられたりすると、家に帰ってすぐ「石」という言葉をひく。
すると、「岩の小さいもの」と出ている。そこで今度は「岩」をひく
でしょう。すると、「石の大きいもの」(笑)。
そうやって、分かっている言葉をひくと、辞書ってとても面白いんです。
だから、それ以来、ぼくの愛読書は『広辞苑』です。
(第4版をひいたら、「母」は「おんな親。子のある女。母親」でした。
「石」は、「岩より小さく、砂より大きい鉱物質のかたまり」で、岩は
「石の大きいもの」でした)。
小学生の時、「結論」の意味として友人が、「論じ詰まったもの」と
言いました。私は、説明になっていないと思いました。で、今、広辞苑
をみると、「終局の議論。結局の議論。考えたり、議論したりした末に
下される判断や意見」。最後の説明なら、当時、理解できたかも。
08)ピアノの鍵盤は、白鍵、黒鍵合わせても88しか音がありません。だから、
本来は不自由な楽器です。つまり、それと同じで、言葉を文字にする
のは、とても不自由なことなんです。
作曲家であり、バイオリニストの玉木さんは、純正律こそが音楽だと
言ってます。ピアノを中心とした平均律は、音楽じゃないって。彼が
音楽について言っていることと、ぼくが言葉について言ってることは、
同じことなんです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
今日はポカポカ陽気です。
今、半袖シャツ1枚でいます。
さっき庭に出て、「ミニ田」を見たら、
この陽気でメガタが浮いていました。
一つの田に3匹、もう一つに1匹です。
大きいのは目の下3cmはありましたが、
これだけでしょうか。気になります。
タニシも日向ぼっこです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
新潮社、林望さんの『帰宅の時代』を読みました。
1)家庭を大事にする男を軽蔑し、家族を犠牲にしても会社のために働く
のが立派な企業戦士だとするような精神風土が、この国の男たちから、
ちょっと大げさにいえば、明治維新以来、ずっと「個人・わたくし」
としての生活を奪ってきたということなのです。
2)例えば、イギリスでいうと、卑近なところではパブという娯楽空間が
あります。これは本来プライベ-トハウスに対してのパブリックハウス
というのがその原義です。つまり、それぞれの家に孤立しているのでは
なくて、村や町の市民がたちが、心おきなく寄り合って会社とか肩書
とか、そういうものは持ち込まないで、市民ソサイエティとしての和気
あいあいたる付き合いをする場、とそんな風に考えたらいいのです。
3)このような場に、男が乗り遅れていては、これからの高齢化社会、或いは
核家族化の進展した孤立社会の中で、きっと将来は寂しいものになって
いかざるを得ない。
4)いや、本来の会話を通じて「自分」を取り戻せるのが、本来の家庭なの
であります。家庭の会話の不毛や、それによる空洞化が原因となって、
各人が家庭の中で孤立してゆくと、「自分が何をしたいのかが分から
ない若者」を増やすもといともなり、また、それは若者だけの話では
なくて、親の世代だって…。
5)これを私は料理人に教えられて、半信半疑でやってみましたが、ほんと
に、びっくりするほど美味しいものでした。こうして野菜や果物を皮ごと
食べているとゴミが減りますし、剥く手間もいらない。しかも果物は
甘くて美味いし、野菜も食物繊維は皮の部分には豊富ですから健康にも
いい。良いことばかりです。
6)「隠れ家的なレストラン」ほどばからしいものはない。値段がとんでも
なく高く、まったくもってリ-ズナブルではない。雑誌に載っている
からいい店だろうなんて、それは安易な考え方というものです。
7)一人ひとりの個性を大切にして、その上で、違う者同士が連帯する、と
いう社会を目指してゆくのが、私たちの「現在」なのではありますまいか。
8)おそらく私の息子や娘も自分なりに大いに悩み、あちこち寄り道して
軌道修正を図りながら、自分自身を見つめてきたのだと思います。
それを私は、自分の子供ながら、ある敬意を以て受け止めているところ
です。
9)私に言わせれば、アフタ-5は仕事がらみの人間と付き合わないのが
正しい生き方です。将来の自分を見越して、会社から離れたところに
片足を置き、冷めた目でものごとを見ている、そういう若い人たちが
現れてきたことで、社会全体のシステムは未だ必ずしも変わっていない
としても、世の中の底流は変わりつつあるのではないかと思っています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
つづきです。
21)ビアナのアルベルグのキッチンは、パ-ティ-のような騒ぎだった。
スペインの中年グル-プに、米人の女の子二人連れ、…それに昨日
出会ったズィランドとアラン。それぞれ鍋やフライパン片手に、お国
自慢の料理を作っている。
22)電話を切ると私は、9時を過ぎてもまだ暮れないアゾフラ村を歩いた。
日本人巡礼経験者の森田さんが、この何もない小さな村を最も思い出
深い場所の一つに挙げていたことを思い出した。
23)アマポ-ラは、スペイン語でヒナゲシ(虞美人草)。
24)私は日本の四季の美しさと、俳句が四季を詠むものであることを説明
した後、「四季の歌」を歌った。歌声を聞きつけた他の巡礼者たちが、
私たちのテ-ブルに集まってきて、最後のハミングは全員で大合唱と
なった。
25)巡礼者はさよならを言わない。皆さん、サンチャゴでの再会を祈って
「ブエン・カミ-ノ」(よい巡礼を)と言うだけだ。
26)アルベルグの広間に、50人近い巡礼者がぞくぞくと集まってきた。
3つの大鍋に作られたス-プが、ホセ神父自らの手でカップに注がれて
ゆく。巡礼者たちはそれぞれ持ち寄ったパンやチ-ズ、ワインを分け
合っている。
27)テラディジョイス・デ・テンプリオスのアルベルグはちょっと高級に
なっていて、千円ほどだすと、夕食付きでシングルベッドに寝かせて
もらえる。
28)エル・アセボという小さな村に着いたのは午後2時を回った日盛り
だった。「昼食をとり、少し日差しがゆるくなってから出発しよう。
この村にはグルメの間でも有名なレストランがある。
29)巡礼道の後半になると、サンデ-ピルグリムと称される週末だけを歩く
巡礼者や、大型バスでやってくる観光客などで、観光地のような賑わい
だ。7月に入ってからは、少しでも早く出立しないと、アルベルグの
ベッドが確保できなくなる。
30)サンチャゴからさらに90キロほど西へ行った所にフィニステ-リャ
(地の果てという意味)という港町があり、巡礼中に使ったものを海へ
捨てる(焼き捨てる)のが千年の習わしになっていると聞き、エドウィン
と共にバスで向った。
31)ふと海に目をやると、はるか沖を一艇のヨットが白い帆をあげて走って
いた。道の果ては終わりではなかった。果ての向こうには新しい道が
続いているのだ。サンチャゴでの不思議な感慨は私に、巡礼の目的は
到達ではなく、その過程にあることを教えてくれた。そして、私は、
次の道に続く黄色い矢印を海のかなたに見ていた。
32)この巡礼道はキリスト教徒にとっては三大巡礼路の一つです。ロ-マの
聖パトロの墓を詣でる第1の道、エルサレムのイエスの墓へ詣でる第2の
道、そして聖ヤコブの墓を詣でるサンチャゴ巡礼の道です。ヤコブと
いう名前は、スペイン語ではサンチャゴ、英語ではジェ-ムスとなります。
33)サン・ジャン・ビェ・ド・ポ-からピレネ-山脈を越えてゆく星の道は、
古代ケルト人が、天に横たわる天の川に沿って、西へ西へと進む道でも
あるそうです。(終わり)
| Permalink
|
| TrackBack (0)
11)大抵の巡礼者は一般の宿は使わず、こうやってアルベルグのある村から村
へと歩き継ぐのだ。
12)ようやく到着したズビリのアルベルグだったが、時間が遅かったため、
すでに巡礼者で満杯になっていた。町には数軒のオスタル(安ホテル)が
あるという。
13)夏休みの学校を利用したパンプロ-ナの巡礼宿は、さすがにシャワ-も
トイレも多く使い易い。
14)スペイン語会話集を片手にホセおじさんを探す。巡礼者同士はなんとか
英語で会話が成立するが、巡礼沿いの村々では、ほとんど英語は通じない。
15)ウテルガからの道は、行けども行けども一面麦畑。地平線を昇ったばかり
の朝日によって出来た影が、私と向き合うように道に長く伸びている。
「もし道標の黄色い矢印を見失っても、午前中なら自分の影を前に歩いて
いれば間違いないよ」とは、巡礼経験者の森田さんのアドバイス。…。
反対に夕刻は、西日によって影を後ろに従えることになる。
16)村の外れに来ると、見渡す限り足元に麦畑が広がり、そのはるか果てに
エウナテ教会(行き倒れた巡礼者を弔うために建てられた)が見えた。
私は嵐に波立つ麦畑の海に、灯台のごとく唯一灯ともす教会を思った。
17)フランスから入る4つの巡礼道は、ここプェンテ・ラ・レイナで出会い1本
となる。
18)エステ-リャ─「星」という名のこの町は、巡礼者で繁栄した宿場町で
ある。スペインロマネスク建築の象徴とされるサン・ミゲル教会をはじめ、
たくさんの殿堂や修道院が今も残り、中世の繁栄ぶりがうかがえる。
19)雨宿りをかねて入ったサン・ミゲル教会は、夜のミサの真っ只中だった。
ドアを開ける音に振り返った老女が、長椅子の端を空けて、手招きして
くれた。
20)朝5時、物音で目が覚めると、すでに同室の巡礼者たちが出立の準備を
していた。まだ外灯のともる未明のエステ-リャを、巡礼者たちが続々と
発って行く。
歩き初めて間もなく、醸造所が巡礼のために設けたワイン飲み場を見つ
けた。飲み放題だというその蛇口を、言われるままに捻ってみると、
とめどもなく赤いワインが出てくるではないか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
図書館で借りた、「スペイン「奥の細道」」のサブタイトルのあるこの本を
開いて、口絵の「フォトギャラリ-」「地平線まで延びる巡礼道」、「道を
行く牛と牛飼い」を見たら、もうこれは行くべき所となってしまいました。
しかし、読み終わって、歩く期間は少なくもひと月以上かかる、そんなに
仕事は休めない。2回に分けるのも、アプロ-チその他、無駄があると思い、
考えてしまいました。
それで結論的には、70過ぎて仕事を止めてから行こうか、となりました。
体力的には大丈夫でしょう。以下、アブストラクト。
01)マダム・ダブリルは、私がこの巡礼道を知るきっかけとなった小説
『星の巡礼』(パウロ・コエ-リョ、角川文庫)にも登場する巡礼者の間
では有名な婦人。(既に亡くなっていると)
02)サン・ジャン・ピエ・ド・ポ-の町なかにあるノ-トルダム教会で旅の
安全を祈願した私は、城塞通りの石畳をまっすぐ抜け、スペイン門を
くぐって、すぐ左手に巡礼最初の黄色い矢印を見つけた。これは巡礼者
を旅のゴ-ルであるサンティアゴ・デ・コンポステ-ラ(以下サンティ
アゴ)へ導く唯一の道標である。
03)ピレネ-の裾野に位置するこの辺りは、小さな村々が点在するのどかな
丘陵地帯である。若い牛追いが、杖1本をたくみに操りながら、沢山の牛
を移動させている。
04)午後の日差しは容赦なく真上から照りつけ、額をつたう汗が時折、眼に
入って痛いほどだ。(5月なのに、こんなに暑い?)
05)アルペルゲ(巡礼宿)は基本的には無料で、巡礼者たちは2,3百円の心付け
を置くのが習いとなっている。大部屋にずらりと並べられた2段ないしは
3段ベッドは早い者勝ちだから、到着が遅れると、床で眠むらなくては
いけない羽目になる。もちろん男女いっしょ。寝具はないので、銘々寝袋
をベッドの上に広げて使う。
水シャワ-と夜の鼾は噂に名高いので覚悟はしていたけれど、アルベルグ
初日にして、私は両方の洗礼を受けることになった。
06)6時、ミサを知らせる晩鐘が村の隅々にまで響き渡る。私はアルベルグの隣
に建つ教会へと向った。
門は開け放たれている、誰人にも。
カトリックにも、異教徒にも、貧者、愚者であろうとも…
この教会に残されている一篇の叙情詩に憧れてやってくる巡礼者も多いと
聞く。
07)ミサを終え、小さなホットドッグを食べると、私はまっ先に寝袋にもぐり
込んだ。隣のベッドは身長190センチはあろうかというオランダ人。彼に
鼾をかかれてはたまらない。日本から持参した耳栓をしかと付け…。
08)山岳地帯の天候は変わり易い。たしかに他の巡礼者は一人として洗濯物を
外に干してはいない。
09)ロンセスバイから3キロ先にあるブルゲ-テは、ヘミングウェイの『陽は
また昇る』の舞台となった美しい村である。
10)私は村の薬局で足の指をプロテクトするための綿やゴムバンド、絆創膏
などを買い足し、ヘミングウェイゆかりの橋を渡って、小花の咲き乱れる
ブルゲ-テの村外れを歩きだした。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
13)春名好重という人が「字のいい悪いはそこに雅趣があるかないか
による」と言っていると、小島寅雄さん(木暮注:元鎌倉市長)に
教えられたが…。
14)藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』の一節を引用して、
「私はこのくだりを何遍読み返したかしれないが、読むたびに
いいなぁと感嘆する。なんでもない飲み食いの場面を描いて、
食い物をこれだけ美味そうに描き、その食い物を通じて男と男の
心の通いを描く。これこそ藤沢周平の独擅(せん)場で、この魅力
にうたれた者は、もうその世界から逃れられなくなるのである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
1月27日の朝日の記事からです。
「世界の人口は2050年に100億人に膨らむとされる。
「食料とエネルギ-を奪い合い、環境破壊が深刻化時代になる。
サツマイモはこの3大問題を同時に解決できる。96年、21世紀の
救世主と、論文に書いた」と研究してきた千葉大の古在学長は
訴える。
1)サツマイモは肥料をあまり与えなくともよく育つ。
2)同じ面積での収穫量は、重さでコメの5倍前後。
3)燃料用アルコ-ルや生分解性プラスチックの原料にもなる。
4)論文にトヨタが目をつけ、当時の奥田社長に面会を求められた。
5)00年、トヨタは10億円を投じて千葉大と共同研究用の栽培施設
を開設。
6)大阪高槻市の農業設備メ-カ-はヒ-トアイランド対策に
これ生かす。屋上緑化用の水耕栽培設備である。
7)1m2の栽培槽に長さ30cmの苗6本を植えると、3カ月半で葉とつる
が約25m2を覆う。
8)「風邪や日照りに強く、手をかけなくとも勝手に伸びる。葉の
密度も高く、屋上緑化向き」と。
9)アラバマ州のタスキギ大はNASAの委託で「ニュ-・スイ-ト
ポテト」の研究が進む。蛋白質とアミノ酸が普通のイモの3~5倍。
10)「肉なしでも生きてゆける完全食品」を目指す。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
01)辛夷(コブシ)なんか植えたら、暴れてどうしようもねえよ。
ありゃむやみと伸びる木だからね。
02)陽がまた昇るという当り前の現象がなぜか、ありがたい気がするので
ある。「天行健ナリ」という。また、「天、之ニ年ヲ假(か)ス」とも
ある。天行がいかに健でも、人間がロクでもないことばかりしていて
は何にもならない。
「天行健ナリ」に続く言葉は、「君子モッテ自彊(じきょう)シテ息マズ」
というのである。「自彊」とは私欲に克つことだそうだ。
03)早寝するから必然的に夜中の1時ごろ目が覚める。その時、前はじたばた
したが、今は寝床の中で浮かぶよしなしごとを浮かぶままに追っている。
劣悪なメディアであるテレビなんぞを見て夜ふかしして、人間が最も能力
を発揮できるこの早朝の爽やかさを知らぬ人間は哀れなるかな、と私は
思っている。
04)対症療法で一つの病だけにきく薬をいくらのんでもダメだ。人間の身体
は全身のバランスの上に成り立っているのだから、全体で処方しなければ
いけない。
05)良寛はザクロの実が大好きだったらしく、石榴を食べる幸福をいくつも
歌にうたっている。
欠きて食べつみ裂いて食べ割りて食べ さてその後は口も放たず
06)人生の充実はそういう職業や地位や有名度や収入の多寡によるのでなく、
人間それ自体にあることを骨身に徹して知っているのである。
尾崎一雄の言葉。
─疲れたら憩(やす)むがよい、彼らもまた遠くへはゆくまい。
07)我慢、辛抱、克己、自制、忍耐、廉恥、倹約などという徳目は今、
徳目どころかマイナスのイメ-ジでしか見られていないらしい。
たしかに日本人は変わった。昔の日本人と違う人種になった、と思う。
08)この数年世間をさわがせた事件は、すべてが、政治家や官僚や経済人の
倫理的退廃を示すものばかりである。物欲にのみつき動かされて人間と
しての誇りがない。ばれても行為の責任をとらず、言い逃れ、責任を
転嫁し、うそをつく。厚顔無恥で、あるのは金銭への執着と倫理的鈍感、
無節操、こんな連中ばかり見せつけられては、これが今の日本人かと
情けなく、気がめいるばかりである。いまの日本の暗さはそこに由来
するとわたしは思う。
09)私が蕎麦の味の判定に自信があるのは、かねがね葉山の御用邸前にある
蕎麦屋で、その店の主人によって蕎麦の味を教育されているからである。
そこの主人は本物最上の蕎麦を提供することに情熱をつくしている人で、
日本中を駆けめぐっていい蕎麦粉を探し求め、みずから石臼で挽き、
つなぎを殆ど使わずに手で打つ。
つゆに使うダシや醤油にも最良のものを用い、酒もこれと信ずるもの
のみを出すというふうで、一度この店の蕎麦を味わったらよその店の
ものは食えなくなるくらいなのである。
茹で上がったときに、半透明のつやのあるものとなり、こしが強く、
噛んだ味が何ともいえず上品なのである。
二度目はつい先日、会津若松で出会った。
10)書物はそれ自体は死物かもしれないが、その思想を今に生かす者がある
ことで、生命を得る。これが本当の再生というものである。
11)ところが昨年の秋になってその難解な『正法眼蔵』の実にすぐれた訳が
出たのである。訳文が明快な解釈だけでなく、能うかぎり原文のびんびん
と張った文章の力をそのまま伝えようとしていることで、訳文自体朗誦
するに足る文章なのだから私は嬉しくなった。
それが石井恭二訳『正法眼蔵』全4巻(河出書房新社)である。
12)余り注目された本ではないが、今年('95)読んだ中で加島祥造『伊那谷の
老子』(淡交社)は抜群に面白い一冊であった。老子とはこんなにおもしろ
かったかと、私は読みながら膝を叩いたものだった。
(小川環樹訳を掲げた後)
<土をこねて一つの器を作る。中がくりぬかれて、うつろになっている。
うつろな部分があって、器は役に立つ。中までつまっていたら、何の
使い道もない。家の部屋というものは、当り前のことだが、中に空間が
あるから有用なのであり、そこがぎっしり詰まっていたら、使い物に
ならない。…
何もない虚のスペ-スが有用さなのだ。>
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2日(木)、鎌倉芸術館で開催されている早田雄二さんの「女優展」
~ヒロインたちの"永遠に輝く一瞬"~を見てきました。「…シニア
通信」の取材を兼ねてでした。
早田さんは秋山庄太郎、大竹省二と共に三大女性専科カメラマン
とか。スタジオでの撮影風景の大きな写真も出ていましたが、助手
が4人。見えない衣裳や化粧のスタッフもいることでしょう。
大掛かりなもんです。
早田さんは、スタジオの雰囲気作りや女優さんらをリラックスさせる
のが抜群に上手かったと書いてありました。
以下、私の印象に残った女優さん。
1)若い杉村春子、山田五十鈴
2)子ども(金)の為に、お化け役をやったとかいう入江たか子。
3)田中絹代は'77に没。余り知りませんが。
4)木暮実千代 '18年生れ。
5)野際陽子。弟が学生時代の同期。会社も。サインもらってません(笑)。
6)雪村いずみ。こちらは妹が私と同年で、旧府立8高女(現八潮高校)、
私は旧府立8高(現小山台高校)で、私の友人からの話。会ってません。
ブル-カナリ-がヒットしていました。
7)鰐淵晴子。ヴァイオリを弾いているあどけない少女。「ノンちゃん
雲にのる」可愛かったですネ。母親役は原節子でした。
8)桑野みゆき。母親は人気女優の通子。
私は両親から、芝に住んでいた時、桑野通子が幼いみゆきの手を
引いて散歩していたのをよく見たと聞いていました。'42年生まれ
でしたので、極く極く幼かった頃だと思いました。
09)私が選んだ美人は野添ひとみ、でした。
「映画ファン」の表紙を飾った原節子の写真、買いました。
尚、この「女優展」は、14日まで開かれています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
3日(金)、NHK教育TVの「おかあさんといっしょ」に、
次男とこの孫が出演しました。
この日、私は勤務で、再放送も見られませんでした。
家内は夕方、見られたのに見ていなかったようです。
電話をしたら、体操のお兄さんの隣に座りなさいと
言われた通り、チョコンと座っていたそうです。
休憩後も、しっかり座っていて、ママは大感激だったけれど、
本人は、未だ分からずキョトンとしていたとか。
後日、写真なり、ビデオが見られるでしょう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
本日、一番列車から大船駅北口に新改札が開業するとミニコミ誌に出て
いました。今から駆けつけても、改札一番通過はムリでしょうネ(笑)。
随分、長いこと工事をしていました。たかが改札口の建設なのにと思って
ましたが、地下に商店なども作るとかの噂も聞きました。この記事では、
東西の自由通路やショッピングモ-ルができると。
大船駅のホ-ムは鎌倉市と横浜市にまたがっています。横浜側に住宅公社?
の大きなビルや三井高圧大船工場跡地に大型マンション群が建ったことも
あり、JRと横浜市が共同で事業を行ってきたそうです。
この駅の見取り図を見て、私がこの工事によって受けるメリットは、Book
& カフェができることでしょうか。
普段使っている今までの改札口側も、今夏、リニュ-アルするとか。
大船駅の1日の乗降客は平均して17万人で、その3割が新しい改札を利用する
ことになろうと。大船駅の所在は鎌倉市で、当市の人口も17万人です。
ついでに鎌倉駅を調べたら、古いデ-タですが、76,636人/日(1997年度)
でした。
以前、川崎駅リニュ-アルで東京側改札が閉鎖されて、その復活運動が
なされたことがあります。新改札口と50mも離れていなかったので、ムリな
話だと思っていましたが、やはり、今も当時の跨線橋が残ったままです。
今回の大船駅の新改札建設に当たっては、人通りが減る商店などの反対が
あったやに聞きましたが、あれだけ大人口のマンションが出来ては、反対
も通りません。
これを機に、大船駅周辺の商店街再開発が進展するのでしょうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
31日の朝日夕刊に、作家の島田雅彦さんが、気になっていたことをズバリ
書いているので紹介し、もう30年近くも前に、私が今の家を建てた時の
状況を改めて書きます。
「姉歯元建築士の強度偽装問題は家の幻想を壊した。比較的安かった物件
の多くが、同じような問題を抱えていることは隠されたまま、彼が開けた
パンドラの箱にも蓋がされそうだ。
日本の建築の多くは耐用年数を30年と設定している。その間、大地震が
なければ、セ-フ、あっても天災ゆえ賠償責任は生じない。誰もがそんな
危うい賭けにつきあわされているのが現実だ。
友人の建築家に聞いたら、震度4でも崩壊するような家や、鉄筋ならぬ竹筋
コンクリ-トの建物に住んでいる人も大勢いるという。知らぬガが仏?
この際、はっきり言えばいい。日本に暮らし、地震で死ぬことは、交通
事故や癌で死ぬのと同じで、日常的な危険の範疇にとどまる。だから、
諦めて下さい、と。
天災なら諦めもつくが、地震で死ぬ人の何割かは人災で死ぬことになる
のに、その責任を問われないとしたら、責任逃れの構造にこそ欠陥がある
ということだ」。
私が家を建てた当時も景気が良く、給料がドンドン上がった時でした。
従って、建築ラッシュで、粗悪な家が問題になっていました。基礎のコン
クリの中に古材が入っていたとか…。
そして、「プレハブ住宅を良くする会」というのが出来、その会合がある
というので、新橋まで話を聞きに行きました。そこで見た、各メ-カ-の
クレ-ム内容、数の多寡を見て、更に、工場生産率が90%を越えるという、
先ずは間違いのない、ごまかしのないと思ったセキスイハイムにしました。
家内は、在来工法の家を希望していましたが、外観・見掛けで判断しては
ダメ。家は先ず、耐震性、外部からの進入や貰い火が防げることなど、
安全性を第1に考えて、建築会社を選ばなければいけないと説得し、先輩の
ハイムの家や在来工法の同僚や住宅展示場も見に行きました。
この家の耐震性の抜群なことは、その後の宮城や阪神・淡路でも証明され
ていると見聞きしています。
家族が安心して住める家、それは家族がいろいろと吟味して、比較検討して
決めることが大事だと思いますが、こういう事件が起きて、ここまで自己
責任を問われると思うと、恐ろしい世の中になったものだと思います。
政治家も経済人も信用ならぬ者ばかり。
ついでながら、中国も新築、大型ビルラッシュですが、地震がないことを
いいことに、かなりいい加減に作られたものが多いと新聞に、現地の人が
書いてありました。どこも粗製濫造ばやりです。
先日、次男に会った時、マイハウス計画はあるのかと聞いたら、しばらくは
会社の補助でマンション暮らしをし、貯める。早くとも数年後だと言っていた
ので少し安心しました。長男の時は相談なしでしたから。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
昨日の朝日の生活欄に、俳人黛まどかさんの記事で、
「99年には、北スペインのサンティアゴ巡礼道八百数十キロを徒歩
で踏破した」とありました。4回連載の前の方では、身体は弱い方で
持病持ちと書いてあったので、よくぞ歩いたと思いました。
「私たちは毎朝5時に起きて、巡礼宿を発ち、その日歩き着いた村
の宿に泊まる。巡礼宿は自炊なので、世界中からやってきた巡礼者達
が、毎晩腕を奮ってお国自慢の料理を作る。ワインを飲んで故郷の歌
を歌い、踊る。巡礼宿は毎晩がパ-ティだ。夜は9時には就寝する」と。
これは将に、私が希求して止まなかった旅です。IrL よりもっと安く、
楽しい交流ができそうだと食指が動きました。
そして、夕刊にはTBSの「スペインセミナ-&旅行説明会」の広告が
出ていました。この日は、JASSの企画で東京へ行く予定があるので、
時間も都合よく申込もうと思いました。
そして、検索したら、英語も現地語も話せない人の旅行日記がヒットし、
交流の輪を広げたと出ていました。
次には黛さんのHPがありました。お礼のメ-ルをしようと思いましたが、
アドレスはありません。彼女が主宰する月刊「ヘンプバ-ン」の問合わ
せ先に、読んで行きたくなった旨のメ-ルを託しました。
関連本として『星の旅人』が出ているとか。
この人、結構、あちこちへ行ってます。考えてみれば、芭蕉の昔から
俳人にとって旅は必要なことなのでしょが。神奈川観光大使にも任命
されているとも。
『奥の細道』道しるべ「深川から象潟まで歩いてつないでヘップバーン」
という本も出しています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
Recent Comments